祖父を看取った
2025年6月14日 午前11時02分
生まれたときからお世話になっていた祖父(父方)が息を引き取った。 幸運にもその場に居合わせることができ、感情の起伏・情報量が非常に多い2日間になった。 通夜・葬式は後日となるが、看取った人間として祖父の最期を伝えるべく人間となったため、情報の整理をしつつ日記としてまとめたい。
事前情報
祖父は祖母とともに和歌山県の白浜の近くに住んでいた。 幼少期大阪で暮らしていた自分は毎年のように祖父家に連れてってもらい、長期休暇の定常イベントとして休みを楽しんでいた。 大学に入学後下宿を始めたり、就職で上京したりなどで白浜へのアクセスが非常に悪くなり、行く機会がほとんどなくなってしまった。 その間は母親が定期的に祖父祖母と会合しているのだが、祖母が認知症になったり耳が遠くなっていることでまともにやりとりができないということの愚痴を聞いたりしていたので、単独で面会しに行くことは難しいと考えるようになった。折を見て家族とともに会合するという機会を待っていた。
2020年5月末 前回の会合
前回祖父と会ったのが2020年5月末の緊急事態宣言解除後すぐだった。これがおそらく10年ぶりぐらいの会合だと思われる。 もともと、この年の3月ごろに東京から白浜まで飛行機で和歌山入りし、大阪から来る母と合流して祖父家を訪問予定だった。 しかしながら、緊急事態宣言の発令によってこれが延期となってしまう。 頃合いを見計らっていたところ、5月末に解除することからこれに合わせてスケジュールを変更することとなった。 当時県を跨いだ移動に関しては新型コロナウイルスの蔓延を懸念され批判の対象となっており、遠距離の移動がしづらい雰囲気ではあったが、祖父祖母ともに高齢で実家の相続問題に取り組む必要があったためどうしても訪問する必要性があった。 (家系に課題があるのだが、書きづらいこと・書いた内容が家族の総意として捉えかねられないため、ここでは記載しない)
ただ、直前に問題がおきた。 新幹線の移動中に気分が悪い状態に陥り、翌日までそれが続いてしまった。 最初は緊急事態宣言による移動の低下に伴う、乗り物酔いの悪化が原因だと思っていた(実際、そういった気分の悪さだった)。 大阪の実家についたあとすぐに寝たが、翌日完全に回復しないまま和歌山入りすることになった。 この時点で「もしかしたらコロナに感染したか・・・?」という考えが頭から離れず、かなり焦燥していた。 具合が悪いことは母親に伝えていたが、久々の面会でもあったので母親からの意見によって強行することとなった。
こういった状態だったため、久々の会合だったのにもかかわらず、飛沫感染を防ごうとして喋る気が全くおきない。 幼少期にずっとお願いしていた出前を頼んで昼ご飯を食べようとしても食欲が一切わかない。 この時点での脳内は「コロナ感染」が占めており、何を話したか・どういう表情だったかなど全く記憶に残らなかった。 もし仮に祖父・祖母に感染ってしまったら・・・。もしそれによって祖父祖母が病死してしまったら・・・。家族に感染していたら・・・。自分が県またぎで移動して発症したことで全国のニュースとして取り上げられてしまう・・・。という様々な不安が自分を苦しめた。
祖父家を離脱後は予約していたホテルに入り、翌日アドベンチャーワールドに行く予定だったのだが、夜から発熱してしまった。 自分の弱気な態度を見た母親が流石に心配し、翌日の予定をすべてキャンセルして大阪に戻り、自分がさらに東京に戻ることになった。一応翌朝には体温が36℃台前半まで戻ってはいたものの、体調は引き続き悪い状態ではあった。 帰京直後に新型コロナウィルスの感染診断(唾液によるPCR検査)を受診したところ、幸いなことに陰性の結果が帰ってきた。 かつ、おおよそ4日ほど続いた気分の悪さ(&微熱)は収束し、新型コロナウィルスに感染していないであろうという判断をすることができ、とりあえず安堵することができた。
そんなこともあって、10年ぶりの祖父祖母との面会は個人的には非常に後味の悪いものになってしまった。 祖父祖母にはこの事実は伝えていないため、向こうはもしかするととても嬉しかったのかもしれない。が、それは僕にはわからない。
2025年2月 祖父の入院
母親からLINEで連絡がきた。しかも、父親を除いた妹全て含めたグループが作られた。 自分の家族間ではLINEグループは作っていないため、明らかにこれまでやり取りしていた温度感とは異なるということはここで理解できた。 祖父が肺炎で入院し、余命が長くないかもしれないから葬儀の準備と心構えをしろ、というお達しがきた。 また、肺炎の治療中に足首が骨折していたことが発覚したので手術することになったのだが、すでに97歳であるため体力的に非常に厳しい状態であると伝えられた。
とうとうこのタイミングが来たか、という感想だったが、このときはかなり落ち着いていた。 なにせ5年も会っていない祖父だったので、若干他人とさえ感じてしまうような心持ちだったのかもしれない。 このときは落ち着いて弔事休暇の制度を調べたり、喪服を準備するように対応した。 その後、母親からの連絡が少なくなり事態が急変するような状況にはならなかったようで、大阪に住んでいる妹や上京したが大阪が好きな妹が4月に入れ替わり立ち替わりで祖父の入院する病院へ面会した情報が来たことで、一旦山を超えたような感じだと思った。
自分も早めに面会に行きたいと思って予定を調整していたが、最終的に6月14日に決定され、それに向けて移動の準備をおこなっていた。 祖父の面会後に祖父家(前述の通り祖母も施設にいるため誰もいない)に行って所持品の整理をする作業が与えられていたため、それに向けた身支度・心構えが大半を占めていた。
2025年6月13日 帰阪
かねてからの予定通り、祖父と祖母の面会(祖母は4月に老人施設に入居していた)のために和歌山へ向かうことになった。 この時期はアドベンチャーワールドにいるパンダがすべて中国に送り返されるということで旅行者が非常に多く、航空チケットや宿の予約が非常に取りづらいタイミングになってしまった。 航空チケットは1ヶ月前だったのにもかかわらず平時の平日の2倍以上という高い料金となっていたうえ、1日3便しかない白浜空港-羽田の上り便の2つがほぼ満席という状態だった。 これは今準備している通夜・葬式にも波及しており、平日なのにホテルが取れないという頭の痛い状態になっている。
行程としては一旦新幹線で帰阪し、実家から和歌山まで車移動するというスケジュールだった。当然面会・掃除がメインだと思っていたため喪服は関東の家に置きっぱなしである。
実家についた翌朝、移動前の準備中に母親から不穏な話を聞かされることになった。「昨日お父さんが泣きながら家に帰ってきた」という話だった。 どうやら祖父が入院している病院から父親に電話が入ったのだが、容態の変化・病院の移動についての相談連絡だったようで、そのなかに「葬儀についても準備しておいてほしい」という内容が入ったことで、父親が感情的になってしまったようだ。 父親はそこそこの頻度で祖父の病院に面会に行っていたようだが、この話がどうやら堪えたようで連絡をした病院の方に対して声を荒げてしまったと聞かされた。
このタイミングでもまだ自分の気持ちはやや他人事のように思っており、また飛行機のチケットを取らなければ、でも6月中は高いぞなどと考えていた。
2025年6月14日 祖父との面会
もともとの予定は掃除→祖父面会という順序だったが、容態の変化もあって祖父の面会を先にすることになった。 面会は予約制だったのだが、こういった状態だったために面会制限が解除され、予約せずとも面会することができるようになっていた。
朝8時半に病院に到着したときの気持ちは流石に緊張していた。 自分の記憶している祖父がどれほど変わり果てているのだろうか、という不安が大きかった。 そもそも意識があるのだろうか、見えるのだろうか、聞こえるのだろうか、自分の記憶はあるのだろうか、色々な不安が頭を駆け巡っていた。
4月に妹からLINEで送られてきた祖父の顔写真を記憶しつつ病室に入ると、やはり顔はかなり痩せこけてしまっていた。 寝たきりの状態で、かつ酸素マスクがつけられた状態で肩で息をするような荒々しくも細々とした呼吸で、見るからに末期の患者であることは明白だった。 母親は慣れた様子で明るく大きな声で祖父に対して声をかけ始めた。どうやら意識と記憶もあり、目も耳も問題なく使えるようだった。 ただし喋ることはできないようで、頷くか首を振ることしかできない状態ではあった。
母親がある程度話したあと、孫である自分が来ていることを伝えると、自分が見える位置まで祖父の顔に近づき、「僕だよ、お久しぶり」と自分の名前を名乗って話しかけた。 すると直後から、あらゆる体のパーツが満足に動かない状態にもかかわらず、祖父の目に涙が浮かび始めた。すぐに自分を認識してくれたことに気づいた。 この涙は自分の感情を高ぶらせることは容易で、自分の目頭が一気に熱くなった。 普段、雑談をしないうえにこんな状態になってしまったことで何を話していいかわからずに動転していたところ、会話を絶やさないような感じで母親が明るい話をしたり、応援したりしていた。これは見習わねばならないと反省と学びの気持ちになった。 その後は20分程度話したり写真を見せたりしたあと、担当医から状態について話してもらうために20分ほど席を外すことになった。
担当医からは容態の悪化について、および病床移転の話をしていただいた。 どうやらここ2日ほどで排尿の量が大幅に減っていることが報告された。どうやら寿命が近くなるとこの状態になるようで、1週間もつかどうかというぐらいの温度感らしい。 かつ、この病院に入院してすでに日数が経過しており、病院の経営上病床移転せざるを得ない状況であることが説明された。 (この辺は病院の認可の話で誤った説明ができないため、興味がある方は調べてください。) ただしこういう状態なので、病床移転ができるかどうかわからない(体力的にまず無理、そのまえに天寿を全うする可能性も高い)という展開になり、病床移転の話はうやむやなまま終わった。 もし1週間以上存命するなら病床移転は必要であるため、それについてまとめて調整する必要が生まれた。
母親はその話をメモ帳にラフなメモとして残し、祖父の病室に戻って清書し始めた。 病室に戻ったタイミングでは、祖父の呼吸に若干の水気(飲み込む力がなくなっているため、唾液がたまるらしい)が増えていたものの、変わらず荒々しい細々とした呼吸をしていた。 6/15に帰京する予定だった自分だが、病室に戻ったとほぼ同時に会社のSlackに「来週か再来週お休みする可能性が高い」という勤怠情報を残した。この時点で覚悟はできていた。
2025年6月14日 祖父の静かな逝去
祖父の水気のある呼吸を聞きながら母親の清書を見守っていた。自身で書いたことだけど読めないという相談に対して「たしかこういう話だったと思う」というように補足していた。 清書を始めて5分ほど経ったとき、祖父の呼吸音が薄れていく異変にすぐ気づいた。夢中だった母親の体を指でつつき、ナースセンターに駆け込んだ。 普段見慣れている担当看護師も異変であると判断し、先ほど説明していただいた担当医を呼び出す対応をしていただいた。 明らかに呼吸は止まっているが心音モニターは動いているようで、担当看護師も祖父の最期であるような素振りだった気がする。担当看護師はこのあとナースセンターにて心音のモニタリングを見続けてくれていた。
母親は大きな声で声をかけ続けた。ありがとうね、よくがんばったね、美味しいもの食べに行こうね、と声を絶やさなかった。 さらに、近くに住んでいるため普段祖父を面倒してくださっている自分の再従兄弟(はとこ)もこのタイミングで病室に駆けつけ、何度か声をかけた。 しかし、面会前に応答できていた状態から打って変わって顔は動かなくなり、目も動かなくなった。
自分は呼吸が止まったことをすぐに父親に電話で連絡し、無我夢中で祖父の手を握っていたが、祖父から込められる力は全くなかった。ただ、手の一部(クライミング俗語でいうとピンチ筋)あたりはまだ体温が残っていた。 自分も感謝の言葉やねぎらいの言葉を絶えずかけていた。お別れのときが迫ったというのは理解していたが、悲しいというよりも長編小説の残り数ページを読むような終わりを迎えるんだなという心持ちだった。
途中、母親の「おじいちゃんは伊勢海老アレルギーなんだよねー」という話で口角が若干動いたらしく、まだわずかながら意識があるだろうという話をしつつも、心音が徐々に弱り、担当看護師から「そろそろです」という連絡があった。
最終的に10時56分心停止、11時02分 祖父が天に召された。タイミングが悪く、母親と再従兄弟が席を外しており、自分だけが病室に残った状態で診断されることになった。 大変そうな呼吸ではあったものの、面会中苦痛で顔を歪ませるような表情は一切なく、始終穏やかな表情のままだった。 この日和歌山は終始雨で、激しくなる時間帯があったにもかかわらず、このタイミングだけ外の景色が明るくなった。
改めて父親に電話で連絡したときの自分の声は震えていたし、電話口の父親の声も震えていた。 他人にあまり弱みを見せない父親であるため、この声の震えを聞いたのは初めての体験だった。
その後母親からは何度も何度も「あんたは本当に運が良い、もってる」「おじいちゃんはあんたに会うまで頑張ってくれてた」「最後はあんたに会えて安心できたんだと思う」と言われたし、自分も全く同じことを思った。今日この日まで頑張らせてしまったという想いもありつつ、祖父における自分と会う価値がどれだけ高かったのかということを大いに印象付けられた。 数日前から容態が悪くなったとはいえ、もともと計画されていた面会中に祖父を看取ることになったのは運命的なものを感じざるを得ない。
その後は気持ち穏やかに祖父の送り出し(病院のレンタル衣服を着せ替えてもらって霊柩車で搬送)をしたり、近所の葬儀屋で日程を調整したりしたり、航空チケットの確保をしたりしてホテルに入り、翌朝を迎えた。 それまでの間、祖父がなくなった悲しみは母親との雑談などでそこまで大きくは感じなかった。 慣れているのか気丈に振る舞っているのかわからなかったが、母親は悲しみをほとんど見せなかったので、自分もそれに引っ張られる形だったのかもしれない。 母親は意図してこう振る舞っていたのなら本当に素晴らしい態度だと思うし、そうでなかったとしても所作として見習うべきものだと思う。
2025年6月15日 祖母との面会
翌朝、急遽和歌山入りした父親を拾って祖母のいる老人施設へと向かった。 これももともと計画していたもので母親と自分の2人で面会する予定だったが、事態急変のために急遽父親も含んで3人で面会することになった。 施設に入ると祖母の部屋まで案内され、ベッドに腰掛けた祖母との面会が始まった。 祖母は耳が遠く軽度?の認知症であったために、自分のことを別の人間のことかと思い込んでいたが、何度か話した後に自分のことを認識してくれた。 その代わり祖母は目が見えるししゃべることができる状態だったので、こちらから何かを伝えたいときは筆談で進めることになった。
アイスブレイクが終わったあと、母親から祖父の訃報について共有された。「ふほう」「(祖父の名前) 97歳」と2回に分けて祖母に見せた。 「死んだの?」と聞かれ頷いたあと、祖母は背中を丸めて頭を落とし嗚咽しはじめた。母親は祖母の太ももを、自分は祖母の背中を一生懸命にさすった。 「安らかだったよ」「苦しんでないよ」と言ったものの、前述の通り耳が聞こえづらい状態だったので頭を上げたタイミングで筆談をしてその旨を伝えた。 最後に自分が看取ったことも伝えて、「おじいちゃんはひとりじゃなかったよ」と伝えたとき、再度祖母が背中を丸めた。 祖母によると昨夜祖父の夢を見たようで、いわゆる夢枕に立ったようだ。オカルティックなことはあまり信用していないのだが、このときはその信仰を捨てた。
認知症の影響なのか、「苦しんでなかった?」という質問が何度か繰り返されつつ、通夜・葬式の日について連絡し、老人施設のスタッフにご協力のもと出席する手筈となった。 また、これも認知症の影響なのか、何度も「会えてよかった」「来てくれて嬉しかった」と祖母から言われたが、言われるたびに大きく頷いてみせた。 自分もやりとりができるうちに祖母に面会できて本当に嬉しかった。とくに昨日の祖父の最期を看取った直後だとなおさら強く感じた。
最終的に、予定されていた30分という面会時間を十分に使いこなして必要なやりとりはすべて完了した。 母親・父親とともに施設の外に出たあと、これまでの書類に対してサインが必要だったとスタッフに呼び止められ、母親が施設に入り直した。 昨日の激しい雨とはうってかわって、日が差した蒸し暑い午前だった。 母親が出てくるまで、自分と父親はお互いに背を向けて何も話さなかった。自分は何を話せばいいかわからなかったし、なにか話始めると感極まってしまうのではないかと思い、無心を維持するために空を見上げていた。おそらく父親もそうだったんじゃないかと思う。
2025年6月15日 帰宅
南紀白浜空港から羽田への便は1日3便しか出ておらず、17時発の最終便は1ヶ月前にはすでに埋まっていたため、13時45分の便で帰ることになっていた。 葬儀の打ち合わせが残っていたものの、それらは親に任せて自分は帰途につくことになった。車で南紀白浜空港まで送ってもらった。 とはいえ、搭乗まで時間がかなり余っていたので、南紀白浜空港の待合場所にて軽くPC作業をすることにした。
着席直後はほとんど人がいなかったものの、時間が経つにつれて家族連れ・若いペアが増えてきて、座るところも少なくなってきた。 やはりこの土日に最後かもしれないジャイアントパンダをお目にかかる人が多く、周りの会話のトーンも明るかった。 最近炎上したりしていたが、この待合場所にはストリートピアノが設置されており、子どもによる「猫踏んじゃった」や明らかに慣れている人による演奏など、代わる代わる繰り広げられていた。

ストリートピアノを触ろうとする子どもも多く、それによる集中の削がれを気にしたので自分はOpenfitでRomancing Cyberbardの音のクヴェル「世界の合言葉はノリ」「望郷ラテン系シニョリーナ」を聞いていた。 これらの曲はサガフロ2のアレンジ曲なのだがこの2曲は本当に好きで、数年前に聞いて以来これらを聞かなくなるほど好きになる曲が見つかっていない。 好きな曲を聞きつつとはいえOpenfitなので結局全部耳に入ってくるが、みんな楽しそうにストリートピアノを引いていた。 作業しているときは祖父の最期に対する考えを塞ぐことができていた。
搭乗時間になって飛行機に乗って飛び立ったあと、インターネットも周りの会話も聞こえない状態になってしまい、かつ「おじいちゃんの最期を通夜や葬式で来られた人に伝えるんだよ」という使命を伝えられていたことから、そのための場面を思い出したり想定してしまったことで、溜まっていた感情が抑えられなくなってしまった。 そのタイミングで回ってきていた機内サービスに対して、平常な声を装ってコーヒーを頼んで飲んでいたが、コーヒーカップを左手にしながら右手で両目を抑えていた。 飛行機の轟音で嗚咽が響かない状態でもあったが、この表情は客や乗務員に見せたくはないと思っていた。このあたりは父親の血を継いでいるのかもしれない。なんとかして意識を変えようと必死になった。
羽田に帰着後は前から気になっていた空港内のラーメン屋に行って遅めの昼飯を食べたあと、羽田から自宅近くまで出ている高速バスに乗って帰宅し、記憶が鮮明なうちに書き残すべきだと思い立って、かなり久々な長文日記を書き始めた。 最終的に5時間ほどかかった。元々やろうと思ってたことが全部できなかったが、強い達成感を感じた。 遅い昼ご飯だったのにもかかわらずまたお腹が減ってきたので、公開ボタンを押して晩ごはんを食べに行くことにする。
終わりに
数奇な運命と重大な使命を感じた2日間だった。 また、この記事を書いている途中もなんども情景を思い出して目頭が熱くなってしまい、何度も手が止まった。 人の最期を看取ることがどれだけ使命感のあることなのか、また看取られる側はどれだけ安心できるものなのか、人によって捉え方は様々あるとは思うが、とても重要な行為であることは間違いない。 各章で祖父や祖母に対する当時の気持ちを書いているが、明らかに変わっていることが伝わればこの記事は自分の意図通り書けていることになる。つまり、看取る行為が及ぼす自分自身への感じ方・考え方を変化させる力が非常に強いということを伝えたかった。
まだ通夜と葬式を終えていない状態ではあるが、最期を伝えるための出来事はできるだけまとめたことで、この文章を元に祖父の最期を祖父を知る人に伝える準備はできた。
おじいちゃん、僕が生まれてから今まで本当にありがとう。最期に会えたこと、最期を見守れたことは自分にとって本当に誇りです。 来週お別れになるけど、近いうちに初盆があるのでまた会いましょう。
Deskmini X600 + Ryzen 8500Gで自作PCを組んだが、不定期突然死に困っている
2024年年末に、2022年頃に購入したASRock x300ベアボーンのPCがお亡くなりになった。 もともと怪しい感じだった(1ヶ月に1回ぐらいの割合でブラックアウトしたまま戻ってこない。電源ボタン長押しで再起動が必要だった)ので、致し方なしとして新しいPCを自作することにした。 ミニベアボーンPCが好みだったので、今回も同様に以下の組み合わせで半自作することにした。
・ASRock X600 ・Ryzen 5 8500G ・Windows 11 Home Edition ・32GBメモリ(16GB x2 ・512GB SSD
ただ、起動直後からPCの突然死が多発して大変困った状態になったので、備忘録としてまとめておく。
・大体1日1回死ぬ、夜寝る前に起動して朝起きたら死んでいる ・突然死するときはいきなりブツンとブラックアウトし、再起動が走る。(イメージ的にはミリオンゴッドのフリーズみたいな感じ。パチスロ打ってないからあまりわからないけど)
最終結果
BIOSのバージョンが1.43 or 1.48だったのを4.08の最新版に上げたことで突然死がなくなった。2週間経過して0になったので、明確に改善したと言っていい。 同様の事象に困ってる方はBIOSのアップデートを検討してほしい。
メモリ相性不良疑惑
結論、これはなさそうだった。 メモリ診断を以下の組み合わせでやったが、すべてパスした。 (便宜上、メモリA、メモリBとします)
・A&B ・A ・B
また、メモリ診断以外の通常利用でも突然死ごとにメモリスロットを入れ替えたり、片挿ししたりしたが改善せず
Windows高速スタートアップの無効化
これは明確に突然死の頻度が減った。 1日に1回から3,4日に1回ほどに改善した。
CPU高温疑惑
排熱がうまくいかないことによって熱暴走によって突然死するかと思い、Core Tempというツールを入れて監視していたが、65℃を超えるところは確認できなかった。 (大体目安として80℃を超えると対策が必要になるとのこと)

(これから実施)GPU専用メモリの割当変更
突然死とまではいかなくとも、Chromeだけが一時応答不能になることは多発していた。 タブを閉じたりすると解消することから、ずーっとメモリ相性を疑っていたが、どうやらRyzen付属のGPUのメモリの問題と思われる。
Ryzen 5 8500GはAPUと呼ばれる内蔵グラフィック付きCPU(Intel CPUでも同様のものがあるため、AMDだけ特別な呼び方をしているっぽい)で、これを使うとCPUパーツだけでそこそこのグラフィック処理機能がついてくる。 (先代のRyzen 3 4950Gだけでドラクエ10のベンチ満点だった)
で、Windowsタスクマネージャーからパフォーマンス項目を見ていると、専用GPUメモリの部分が9割ほど使用した状態のときにChromeが固まることがわかった。 その後、ChromeのグラフィックアクセラレーターをオフにすることでChromeフリーズは回避できるようになった。 もしかしたらPC突然死もこれと関連している可能性があり得そうな気がしてきた。

これを見ると共有メモリがスカスカだったので、こちらに使用メモリを割り当てられないか調べてみたところ、「共有メモリの空きを専用メモリに割り当てるAMD公式のソフトウェア」があることを知った。
これからPCを再起動してインストールを完了させて、割当変更を試みる。 覚えていたら後日談として実施報告を書きたい。
GPUメモリ再割当て方法とその後(2025/05/26追記)
結論、上述のソフトウェアが使えなかった。 バックグラウンド専用アプリっぽく、コンソールが開けなかった。
色々調べると、BIOSからVRAMのメモリ割り当てを変えられることを知ったのでそちらで対応してみた。
自動で448MB割り当てられていたのを、固定4Gに変更。

OSの再起動に影響があったかどうか不明だが、これによって明らかにChromeブラウザの挙動が改善した。
また、この設定後5日ほど経ったが、突然死?(朝起きたら再起動していた。Chromeが前回終了をクラッシュ扱いにしていたのでおそらく突然死)1回+ブラックアウトのまま帰ってこずが1回という感じ。 現在3日連続起動中でまぁまぁ安定してきているなという印象がある。
(この調子で、同じRyzen APUを積んでいるノートPCのVRAMも割当を変えようと思ったが変えられず。HPのEnvyは未対応?)
引き続き様子を見たい。同様の事象が発生している人がいればぜひ意見交換をしたい。
BIOSアップデート
もう解決方法が思いつかなくなったため、最終手段としてBIOSのアップデートを敢行した。 元のバージョンは確か1.43か1.48だったと思うが、記憶から放念してしまった。
アップデートのために、おそらく15年以上ぶりにUSBメモリを購入した。
アップデート中に強制終了が起きないかヒヤヒヤしたが、無事アップデートが完了し、Windowsを起動することができた。 その後、Windowsアップデートが1回あったものの、2週間経過して強制シャットダウンによる再起動は1度も観測していない。 どうやらBIOSとの相性問題だったと結論付けた。同様の事象に見舞われている人にはBIOSのアップデートをおすすめしたい。
2020年まとめ
こんにちは。あいぼうです。 正月に向けてなーーーーーんも準備しておらず、ゴロゴログダグダ大晦日を過ごしています。 ゴロゴログダグダしながらTwitter見てると「2020年まとめ」のブログを投稿した人が多数見受けられたのでヨッシャやるかという意気込みで始めます
リードクライミング&外岩トップロープ
講習を受けたのが2019年12月なので厳密には去年ということになるが、2020年はリードクライミングに勤しんだ1年だっと思う。 リードクライミングとはなんぞや、という方のために説明すると、クライミング種目はロープなし(ボルダリング)とロープありに分けられ、15m〜20m程度の壁をロープを掛けながら登っていくというタイプのクライミングである。

下で支える人(ビレイする人、ビレイヤー)だけでなく登る人も訓練が必要で、2回に渡って講習を受けた。これによりインドアのリードクライミングに挑戦することができるようになった。
もともとボルダリングを始めてから3年ほど経ったのだが、初めてロープクライミングを目の当たりにしたときに強烈な印象を受け、自分も挑戦したいという強い願望が宿ったことが講習を受けるきっかけにつながった。 今は大体月1回〜2ヶ月に1回程度を目安にリードクライミングに取り組むようになっていて、T-Wall錦糸町やビッグロック日吉を中心に活動している。
また、つい先日初めて外岩のトップロープ(こちらは始めから頂点にロープがかかっているため登る人はロープワーク不要なクライミング)も体験することができ、とても素晴らしい体験だった。外だけでなく屋内ボルダーへの意識・意欲も変化したと思う。
なお、ロープクライミングについては一緒に参加した人にお願いしてクライミング動画を撮っていただくようにしはじめた。その動画はInstagram TVにアップロードし誰でも閲覧できる状態にしている。 数分の動画になるが、ぜひ見ていただければ幸いである。
コロナ禍
今年を象徴する災いとなり、自身を含め環境に大きな影響を与えたと思う。 ステイホーム、お世話になったりこれから行こうと思っていた飲食店の閉店、催事の中止など多くの人が同様の経験をしたのではないだろうか。 自分自身は他人と比較してこれといった事情が生まれたということはなかったが、緊急事態宣言明けの6月下旬に冷や汗モノの体験をした。
緊急事態宣言明けの翌日に和歌山の祖父・祖母の家へ訪問した。もともと3月に予定していたものを延期させたのだが、祖父祖母の強い要望と将来についての話し合い(要は終活)をするために実家大阪の家族と合流して向かった。 だが、和歌山についた当日に倦怠感・食欲不振に襲われとても不安な状態になっていたところ、宿泊予定のホテルにて最高37.9℃の熱が出始めた。 時期が時期なだけに(と言いつつ今のほうがもっとヤバいが)自身の判断で翌日の予定(アドベンチャーワールドに訪問予定だった)をすべてキャンセルし、東京に帰京した。翌日民間の病院にてPCR検査を受けたところ、不安とは裏腹に陰性結果であった。
もしこれが仮に陽性だった場合は、おそらく「東京都在住の男性が和歌山県に移動し新型コロナウィルス陽性」という見出しのニュースが必ず出ていただろう。 その場合、和歌山に住んでいる祖父祖母を命の危険に晒しただけでなく、その周囲の方にも影響を与えていたことになったはずで、本当に不安な数日を過ごした。
転職した
9月1日に現職となる株式会社LegalForceに入社した。 これについては後日転職記事を書く予定であるため省略する。
事業の成長に対して全く社員が追いついていない状況なので、正社員はもちろんのこと業務委託やアルバイトでもぜひ応募してほしい。
ちなみに、来年5月1日に会社が豊洲に移転することになった。豊洲市場に度々訪れる身としてはとてもありがたい。
買った
やはり年末にその年買ったものを振り返るのは恒例行事ではあるが、今年も振り返ってみる。
マルイ リュックサック(2層タイプ)
今年リュックサックを新調した。 もともとIncaseのリュックサックを使っていたのだが、結婚式場で預けたところチャックを壊されてしまったので新しいものを検討していた。 渋谷マルイに訪れたところ、偶然上記のリュックサックを発見しすぐに購入した。 購入の最大決め手は2層構造であることで、クライミングシューズを容易に出し入れできることだ。実際に非常に役に立った。

自宅作業環境
3月に会社がリモート推奨期間に入ったことで自宅作業環境を整えた。
椅子とディスプレイ届いた pic.twitter.com/XSxH0bw366
— あいぼう (@aibou) 2020年3月11日
ディスプレイは前々職の職場で利用していた34型曲面ワイドディスプレイを、デスクは分割キーボードを使っているため肘を起きやすい机としてL字型を選定した。
L字デスクはちょっと失敗した気がしている。机の幅の狭さとディスプレイスタンドによってキーボードの配置箇所がかなり限定されてしまい、窮屈な体制でタイピングせざるを得なかった。 最近エルゴトロンというディスプレイアームを購入したことで自由度が広がったが、もう少しすると机を買い換えるかもしれない。
柳刃包丁
ステイホームで自炊する機会が増えたが、外食で補っていた魚のうち特に生魚の摂取が大幅に減ったと考えた。 そのため、スーパーで刺身用の柵を購入し家で調理したいという野望が生まれ、数年前に大阪の千日前道具屋筋商店街で購入した出刃包丁と同じ店でネット通販にて柳刃包丁を購入した。
今年購入したもののうち、もっとも良かったのはこの商品だと思う。 初めて実物を見たときは恋人に出会った気分だった。一目惚れというやつだ。 感触も普通の包丁とはかなり異なっており、三徳包丁では味わえない感触・切れ味を体験することができる。
柳刃届いたんだけどイケメンすぎて抱いてくれってなった pic.twitter.com/Kl9wkmGXij
— あいぼう (@aibou) 2020年7月10日
総括と来年に向けて
今年は家にいる期間が多いのにも関わらず、色々無駄?な出費や転職に伴う給料振込みスキップ等もあって、貯蓄がそこまで増えなかった。 必要な分は今年あらかた揃ったので来年は出費を抑えたいと考えているが、勤務先移転に伴い引っ越しを考えているため、来年初夏までに引越し費用を捻出する必要がある。 今の家は壁に凹み作ってしまっていたりするので修繕費がおそらく高くなるのでその分も見繕っておかないといけない。
もしCOVID-19のワクチンが有効となり感染リスクが下がれば、今年できなかった旅行もしたい。つまり来年は出費がやばいことになる。 サンタクロースに100万円くれとお願いしたがダメだったので、なんとか貯めていこうと思う。
AWS Pagerに気をつけろ 〜 awscli v2 & CICD 〜
少し前に正式リリースされたAWS CLI v2は、デフォルトでページャを設定してくれる。 そのため、シェルパイプラインで less コマンドをかまさなくても自動で less コマンドのようなページャが起動される。

一見便利そうに見えるが、一点だけハマりポイントがある。 実行者が人間ではなく機械、つまりCI/CDやプロビジョニングツール環境下における利用だ。
画面内で結果が出力されるような場合(数行程度)は問題ないと思われるものの、数十行以上出力される更新系APIも存在する。
以下の画像は、CircleCI上で aws ecs update-service コマンドを叩いたときの様子だ。
(所属組織のリソースが含まれているため、ARN等はマスキングしている

画像の様に Too long with no output というエラー文と共に10分タイムアウトで落ちている。
パイプしたlessコマンドを q で片付けない状態が10分続いた、というわけだ。
これの解消方法は簡単で、AWSコマンドを叩く際に環境変数 AWS_PAGER を空文字列で指定するとよい。
CircleCIでも、わずか2行追加するだけで解消する。
(余計なコメントが入っているが、気にしないでほしい)

コスパの良い豆を入手できるお店
この記事は Coffee Advent Calendar 2017 の5日目の記事です。
みなさん、美味しいコーヒーを飲んでいますか? 僕はもちろん飲んでいます!
僕のコーヒーライフが変わったのは、渋谷道玄坂にある About Life Coffee Brewersとの出会いでした。 このお店のコーヒーを飲んでから、僕の人生が変わったと思います。
さて、美味しいコーヒーを飲むには、それなりに良いコーヒー豆を入手する必要がありますが、それなりに良い豆はお値段もそれなりにあります。 良い豆を飲み続けるには、ある程度のランニングコストを払い続けられる金銭的体力が必要です。 しかし世の中には、高品質でありながらもお値段が抑えられたコスパの良い豆を仕入れることができます。 そこで今回は、どこに行けばコスパの良い豆を仕入れることができるかについてお話したいと思います。
コスパがいいとは?
コーヒー豆の質はピンからキリまでありますが、僕は「スペシャリティコーヒー」もしくはそれに準拠したのものを飲みたいと思っています。 産地が農園まで明記されていると、豆の品質について特にこだわりがありますよね。
ただし、こういった豆は大半が 1000円/100g ぐらいの料金体系になってきます。 ドリップ1杯につき12gの豆を使うとなると、1杯120円の値段になります。少々お高いですね。 しばらくはこの値段帯の豆を利用してドリップしていたのですが、「もっと安く、美味しいコーヒーを飲みたい」と思うようになり、色々探した結果いくつかの候補を発見することができました。
探索した結果論になりますが、コスパがいい豆はおおよそ 500円/100g で購入できることがわかりました。 そのため、この値段帯で購入できる豆とお店を紹介したいと思います。
丸山珈琲 西麻布店
西麻布交差点から広尾方面に向けて300mほど歩いたところに、白い建物の丸山珈琲があります。
このお店ではエスプレッソを始め、ハンドドリップやフレンチプレスなど様々な方法で淹れられたコーヒーが飲めます。 店内でコーヒーを飲まずとも、焙煎済みの豆を購入することができます。
おおくは 1000円/100g の料金帯のものが多く、ものによっては 2000円/100g の超高級な豆をも販売しています。

撮影は丸山珈琲西麻布店の店員さんの許可をいただき撮影しました。
写真の通り数多くの豆を販売されていますが、そのなかでも「浅煎りドゥルセ」「中煎りセロ」「深煎りカラメロ」等の廉価な豆が販売されています。 これらはだいたい 2000円前後/500g で販売されているため、おおよそ 400円/100g の料金帯で購入することが可能です。
煎り具合を選べてなおかつお手頃な値段で入手することができるため、非常に重宝しています。
Fuglen Tokyo
渋谷にあるNHKの井の頭通りを新宿方面にいくと、左手にBondi Cafeが見えてきます。 その路地を入ったところすぐにあるのがFuglen Tokyoです。
Fuglen Tokyoは、昼カフェ・夜バーとなるお店ですが、夜でもコーヒーを飲むことができます。 さらに、Fuglen Tokyoはすぐ近くにある焙煎所で豆を自分好みに焙煎し、客に提供するということを行っています。 Fuglen Tokyoの焙煎に対する想いは並大抵ではなく、「自分たちが感じる最高の焙煎状態を届けたい」ということから、様々な度合いで焙煎をしています。 これを「テストロースト」と呼ぶのですが、この際に残念ながら提供できなかった焙煎状態の豆を格安で販売していただけます。
値段はなんと 4000円/1000g (税抜き)と、豆の品質・高レベルな焙煎に対し、非常にお買い得な豆だと言って良いでしょう。 最近僕はここの豆を重宝しており、会社に電動ミルとドリッパーを持ち込んで毎日飲んでいます。
最後に
僕はそこまでお店を回っておらず、コスパの良い豆を販売してくれるお店をまだ2軒しか見つけられていませんが、東京だけでも探せば多く見つかるはずです。 もし「ここのコーヒーがコスパがいい!」という知見をおもちの方は、ぜひ本アドベントカレンダーに記事を書いてください!
最近
昔は1dayで1記事とかいう意気込みがあったときもあったけど、そんなめんどくさいことは到底続かない(というかネタがない)し、そういうの続けても誰が読むわけでもないので特に書くことをしていなかったが、気づいたらいろいろネタができてきて逆に多すぎてまとめられないことに気づいた。
カテゴリに分けて書きたいこと書いていく。(ブログってそういうものだし)
お仕事
2015年6月にJOINしてからGunosyでほのぼのとインフラとSREの中間っぽいことをやり続けてる。
最近はchefspecに泣かされたりelasticsearchに泣かされたり過去の遺産に泣かされたりしてるけど、まぁ仕事って他人が嫌がることを積極的にやってこそだと思ってるので特に苦もなく。
そういう点では、新規事業苦手の守備型の人間なので、新規事業よろしく頼む(ケツは拭くから任せろ)って想い。
業績好調っぽいので、このまま続いて欲しい。
趣味
むかしは月一でやってたボルタリングを本格再開した。いまは週一で秋葉原に行ってる。
先週はいつもよりワンランク上の課題を2つクリアできたので、成長実感し始めた。
これからもしばらく続ける。
NFLを去年から真面目に見始めた。
今年のプレーオフからは、早朝から渋谷のパセラでやってる観戦会にも参加し始めた。
前からグリーンベイ・パッカーズを応援していて、今年はカンファレンスチャンピオンシップ(スーパーボウルの1個手前)で残念ながら負けてしまった。
来年は怪我人でないように頑張って欲しい。
それにしてもスーパーボウルは凄い試合だった。
あとクラッシュロワイヤルやってる
食べ物(寿司)
去年のGitHub Projectがリリースされてから、適当に寿司プロジェクトを作ってみた。
1年で10件も開拓してたのかーとしみじみ思うと同時に、今年既に4件開拓してた。今年は30件ぐらい行くんじゃないだろうか。 家の近所である代々木八幡・参宮橋近辺を中心に、築地の行ってない寿司屋数件もまわる予定。
食べ物(定食屋)
渋谷神山町の魚力であんこう鍋した。定食屋でこういった鍋するのすごく良い。めんどくさいで有名な弟さんにも無事絡まれた。
t.coあん肝とましお (@ 魚力 in 渋谷区, 東京都) https://t.co/A1e9CfOgby pic.twitter.com/jQeOW0Xofs
— あいぼう<T extends 寿司屋> (@aibou) January 26, 2017
渋谷東急ハンズの向かいにあった日高屋が潰れ、大阪王将が開店した。ここの大阪王将がボッチ特化のメニューで非常に居心地がいい。 肉あんかけチャーハンが最高だった。
大阪王将の肉あんかけチャーハンがギルティすぎてもう死んでもいい
— あいぼう<T extends 寿司屋> (@aibou) 2017年1月30日
あと、代々木八幡駅前にある天下一(not 天下一品)という中華定食屋が最近のブームで、前までは麻婆豆腐頼んでゲンナリしてたけど、中華飯や麻婆春雨丼が美味しいということを知って通いはじめるようになった。
最近の推し (@ 天下一 代々木八幡店 in 渋谷区, 東京都) https://t.co/vvQFNLKin0 pic.twitter.com/jtASuMgGlU
— あいぼう<T extends 寿司屋> (@aibou) 2017年2月20日
MySQL Casualの帰りにえのきとたまたま入った四谷の俵屋という中華定食屋もなかなかよかった。東京のど真ん中なのにコスパ最高峰で会社員が大量にたむろしてた。また行きたい。
食べ物(居酒屋)
最近は上野方面を攻めようという気がしてきた。が、とくに進展なし。 女の子と飲むときだいたい向こうが千葉・茨城が多く、それに合わせて上野という選択肢が多くなったのでいいお店開拓したい。
ソロだと幡ヶ谷の鳥あんがメインスポット。最近は幡ヶ谷レバーを知ったので鳥あん→幡ヶ谷レバーのコンボを同僚のあいたさんとキメてる。
これが花金か (@ はたがやレバー 代々木上原店) https://t.co/aboPthCGQx pic.twitter.com/ZQGt3pcrRL
— あいぼう<T extends 寿司屋> (@aibou) 2017年1月20日
酒井が去年年末にお店移動して、おでん屋まめひろの上の階、アンビシャスの隣になった。 今週末日本酒の会なので、顔を出す予定。
プライベート
とくになにもなし。女性の扱いがゴミということに気づいたので、しばらくなにもないとおもう
これから
お世話になった人に感謝しながら生きていきたい
キーケースとオートチャージPASMOで生活が変わった話

少し前に財布を買い替えました。大学院卒業間際に買ったものなので、かれこれ3年半ほど使い続けたので、かなり状態が悪くなってました。

ずっとケツポケットしてたせいで、かなり汗吸収しちゃって(多汗症かってぐらい、腰-太ももあたり汗かき)、異臭を放つぐらいになってしまいました。
で、財布を買い換えようと思ったときに、どうにかしてケツポケットをしないようにしたい(最近は自転車通勤のせいで余計に汗を吸収してしまう)と思ったときに、前職の同期が持っていたキーケースを見せてもらったときに「これだ!」と思いました。
キーケース
買ったのはこちら
9000円とちょい高いのですが、ここで財布を買おうと思ってたので一緒に買いました。(5000円ぐらいのでいいのあればそれ欲しかった感あります)
このキーケースのいいところは、カード収納ポケットがあることで、ここにICカード型電子マネーを入れておけばコンビニ等での決済は財布いらずになります!
自分の朝のルーチンワークを振り返ると、「自転車で出勤」「雨天の場合電車で出勤」「会社付近のコンビニで朝食購入」であったため、移行によって不便になる点は特にありません。
しかも、僕の場合自転車の鍵とマンションのオートロック用のキーを保持する必要があり、所持している鍵の種類がもともと多かったのもよかったです。
キーケースはこんな感じで使ってます。

左(キーの真裏)にあるポケットはちょうどカード1枚分の幅があるためPASMOを、右はちょっと小さめで500円玉ぐらいの幅のため、1000円札を4つ折りにして緊急時に使用するようにしてます。(この前財布忘れたときのランチで使ったりしました)
PASMO
PASMOはこれまでプリペイド式だったんですが、このキーケース購入を決めたときからオートチャージ化しようと決心していました。 これまではクレジットカード一体型のオートチャージSUICAはあったんですが、やはり紛失したときのリスクを考えるとクレジットとは分離しておきたい、ということでいろいろ申し込みをはじめました。
ここでいう「クレジットカードとPASMOを別々で持ちたい」という選択肢ですね。 既にPASMOのカードを持っていた、SUICAとクレジットカード分離ができることが確認できなかったことから、PASMOで申請することにしました。
クレジットカード
上記利用方法のページにて、使用できるクレジットカードの種類には制限があります。私鉄会社のカードになります。 残念ながら銀行系カードやAmazonカード、楽天カードは使えないです。
このカードの中からどれを選ぶかは結構難しいです。個人のショッピングスタイルが絡みます。 全部は調べてないのですが、これらの多くは百貨店等のショップを経営しており、商品購入ポイントがPASMOに移行できると思われます。 僕の場合、東急百貨店で日本酒を購入するケースが多いので、東急カードを選択しました。
東急百貨店東横店(渋谷駅内)の入り口でクレジットカード申し込み担当者がいたので捕まえてその場で申し込みました。 クレカ到着までだいたい2週間ぐらいでした。 クレカ申し込むときは、必ず「PASMOとクレジットカード別にしたい」ということを担当者に申告しておきましょう。
PASMOのオートチャージ化
まず、クレジットカード到着まえにPASMOの記名可を行っておきましょう。すでに使用しているプリペイド型のPASMOに印字することで記名できます。 各駅の定期売り場や、改札前の駅員にお願いすれば記名してくれると思います。
クレジットカード到着後、PASMOのオートチャージ化を申請する用紙にクレジットカード番号とPASMOの印字名・番号を記入し、ポストに投函すれば申請は完了。 3週間~4週間後、はがきが投函されるので東京メトロ等の券売機でオートチャージ化ができます。 (オートチャージ化したときは結構酒に酔ってたのであんまり覚えてないのですが、券売機で作業可能です。はがきに記載されてる情報は不要で、むずかしければ駅員に操作していただくこともできます。)
どうなったか
まず財布を入れなくなりました。ポケットがメチャクチャ軽いです。
コンビニではほぼPASMOで決済するようになり、小銭に悩まされることがかなり少なくなりました。 なので、深夜にコンビニに走るときも大きな財布を持たずにこのキーケースだけ持っていればいいので、モビリティがすごく上がったように思います。
あと、鍵単体だと落としたことに気づかないことがあって、常にポケットの鍵があるかを気にしないといけなかったんですが、キーケースはそこそこの大きさがあるので落としたときはすぐに気付けます。
なんであと1年早くやらなかったんだろうかと思えるほど生活必需品になっています。
みなさんもぜひキーケース&オートチャージIC生活を始めてみてください
